昨年の暮れの出来事
タイトルの通りです。お正月の買い出しに出かけました。のどが渇いたと思っていたら、細い路地の奥まったところに自販機があり、お茶を買ったのですが、後ろからすーっとホームレスの女性が来て、「500円ください。パンを買いたいのです」と言われました。正直、あまりねだられるままお金を渡すことが良いと思えず、無視したのですが、路地を遮る形で車も止まっており、どこうとしないので、持っていた百数十円を渡しました。そうしたら「私は500円と言っているのに、これはなんだ」と怒り出しました、「それでもパンの一つも買えるでしょう」と言って立ち去ろうとすると、顔を近づけて睨みつけてきます。かまわずその場を離れたのですが、ふと後ろをちらっと振り返るとまだ私を睨みつけてました。生活保護が受けられない事情でもあるのでしょうか?
慈善ってなんでしょうね
正直に言って、節約、投資などのブログを書いてるくらいですから、頭の中、お金の事でいっぱいです(^^;)。でも、寄付はしないかと言えば、最近なら、いつもお世話になってる町内会の歳末助け合いは些少ながら毎年出してます。また、私は子供の頃、親の事業が失敗して非常に貧しかったものですから、ある貧困家庭支援の団体だけは寄付をしています。過去で言えば、熊本地震や東日本大震災などはやはり募金しました。災害対策、貧困対策は第一は政府や自治体が行うものだと思いますが、どうしたって社会の中には助けが届かない「すき間」が生じますから、ある程度、慈善活動を応援することは大事だと思います。町内会の防犯、防火運動などは自分にもメリットはありますし、貧困が少しでも減れば、社会だって安定するわけであり、社会全体のメリットでもあると思います。
私を恨む気持ちが分からない
ただ、私個人が、私の目の前のホームレスに要求された額を出すことが、良いことだとは必ずしも思えません。いくつパンを食べたかったのか知りませんが、少なくてもパン一つ分のお金は渡したのに、却って恨まれ睨まれるという結果がなぜ生まれたのか昨日から考えているのですがイマイチすっきりとした答えが出ません。世の中、そんな人ばかりではないのですが、福祉を受けている人が家賃を滞納し、数年間、老人の大家がそれを待っていたのですが、その福祉の人が大家を「テレビの音がうるさい」と刺殺した事件が神奈川でありました。怒りや不満というものは、社会に向けられるより、身近な人間、眼前の人間に向けられやすいという側面があるのでしょうか。そうであるならば、悲しい事だとも思います。皆さん、いかがでしょうか?