限界ギリギリのサラリーマンのセミリタイアを目指す海外経済・投資・節約・雑記です。

40代サラリーマンです。地元と東京を行き来する日々。自分の興味があるアメリカ経済や投資、節約術、子育て、普段の雑記的なことを備忘録的に書いていきたいと思います。

パチンコ屋さんの廃業・・・就職氷河期世代として思う事

これからの日本、デフレの日本

世代間論争、世代間格差が言われます。私は就職氷河期時代なので、割と世代間格差を感じ、ネットで配信してます。でも・・・給与など計算してたり、個別に社員の聞き取りしてると、もっと下の2~30代も大変ですよね。奨学金に、年金猶予の支払い。年金猶予は3年後には3%の利息がかかります。ちょっと負担掛け過ぎなのかなとも思います。

就職氷河期時代の思い出

とにかく就職先が決まらない人が多かった印象です。小中時代の有名大学の連中でもかなり苦労してました。今、たまに人づてに話を聞くと、そのうち一部は出世し、一部は転職しながら出世、あるいは苦労し、一部は非正規のままです。ただ、全く話が伝わらない人も多く、誰とも交流を取ってないのだと思います。

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歌舞伎町のパチンコ屋さん

当時の就職の最終手段

今、中間決算諸々があり、東京にいる期間が長いので今日は歌舞伎町に行きました。歌舞伎町のパチンコ屋さんが潰れてました。この立地でも潰れるのだなぁ、と思いました。

就職氷河期当時、最終手段は①就職浪人(結果としてますます厳しくなるのですが)②大学院、専門学校等の進学で先延ばし③パチンコ、先物取引サラ金への就職でした。

 今は、様々な疑問が出されているパチンコ業界ですが、当時はそれほど社会問題にならず、数十兆円産業でした。ただ、開店前の8時ころに店に入り、閉店後12時くらいまで〆の作業があり、肉体的に無理、という噂でした。ただし、あの不況の中でも初任給25万とか出してた時代です。パチンコ経営者の旦那さんを持つ神田うのさんが「企業から内定をもらったのに断るのは失礼としか言いようがない」と強く批判してましたが、それはセレブであり、パチンコの経営者側視点であって、別の希望職種を持っている人が多かったように思います。私は一時パチンコ、パチスロが好きでモーニングを取りに行ってたくちですので偉そうなことは言えませんが、今、パチンコが社会問題化して久しいのを見れば、神田うのさんの思い違いが良くわかります。

また、諸費者金融の取り立て、先物取引はガムテープで受話器と手をぐるぐる巻きにして1日100本電話をかけさせる、など悪い噂ばかりでした。

初任給はそれぞれ25万とか27万に社員旅行は海外なんて宣伝してました。それでも人が集まらない様子でした。先物会社の社員が社員旅行の海外で災害により数名死んだとき、ネットはそれは苛烈な言葉が飛び交ってました。

社会の雰囲気

なぜ、そういう状態になったかというと、氷河期時代は明らかに不況なのですが、マスコミや評論家は「今は調整期。いずれ景気は戻る」という意見が多かったのです。で、企業が潰れても「バブルに浮かれた始末」「あぶく銭は身につかず」なんて嘲笑していて、これほどまでに雇用や日本経済が深刻になる意見はありませんでした。「日本を恐れたアメリ陰謀論」なんてものありました。

社会的に「どう、一時的にしのぐか」という雰囲気で抜本的な改革を求める雰囲気はゼロですし、今になって、公共事業はムダと言ってますが、当時は財政出動による景気対策を批判する意見は少なかったように思います。私たち氷河期世代もその親や社会全体も「一時的」という意識が多勢で結局、そのままズルズルと今に至っているのです。

派遣やフリーターがもてはやされたのも、「その気になれば正社員になれる」という考えがあったように思います。甘い、と言われれば言い返す言葉はないのですが、それが現実でした。

今思う事

政治、社会に様々な事がいわれますが、氷河期世代から見ると「後だしじゃんけん」のように思う時があります。氷河期についてはまた書きたいと思いますが、自分も含めて、政治が悪い、経団連が悪い、官僚が悪い、富裕層が悪い、という前に、国民みんな見込みが甘かったのだと(自分も含めて)思う時があります。

何とか、少しでも挽回できればなぁとは思いますが、大変だな・・・と思います。

少しでも苦しんでる人が減れば、最終的に皆の負担が減るのわけですし、遅すぎると言う声もありますが、遅いなりに何らか手を打つべきだと思います。