限界ギリギリのサラリーマンのセミリタイアを目指す海外経済・投資・節約・雑記です。

40代サラリーマンです。地元と東京を行き来する日々。自分の興味があるアメリカ経済や投資、節約術、子育て、普段の雑記的なことを備忘録的に書いていきたいと思います。

【争族】相続争いを経験しました。いざ経験すると難しいものです。

争族=相続

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よく言われていますね。そのために遺言書を残そうという記事も見ます。一澤帆布みたいな第一の遺言と第二の遺言なんて、ある種ドラマのような相続や向井理榮倉奈々のドラマそのものもありますが、普段の相続争いは家1件だけとか1千万程度の財産で揉めると言われています。

 

昨年、祖母が亡くなりました。細かくは書けませんが、祖父とともに商売をしていて、一部は会社ですが、基本的には個人商店です。昔の家族で多人数の兄弟がいます。祖母は長生きでしたので、既に亡くなって代襲相続として従弟が来ており、私も高齢の親の代わりに参加しました。

 

遺言書はあったものの

 

遺言書はごくシンプルで残された兄弟に等分に遺産を分配するものでした。そして、この遺言の内容も生前に兄弟が全員知っている状況でした。しかし、実態は3男の叔父が商売を引き継いでおり、祖母と3男は嫁姑の争いもあり晩年は仲が悪く、判断力の落ちた祖母が残した遺言には従わず、商売に必要な土地建物は3男に、それ以外は等分に配分することで生前に合意をしておりました。ちょっと特殊な状況ですが、事前の話し合いは十分でサインもしたと聞いていたので、残された僅かばかりの貯金を分割して後は押印して終わりの予定でした。地方の土地ですし、大したことはないと。。。

 

でも、トラブルは起きる

 

この、残された貯金を等分するところでトラブルが起きました。祖父母の個人商店を3男が手伝い、祖父母が老いていくうちに徐々に3男の商売となり、現在は3男が仕切っている状況なのですが、何しろ、個人商店だけにいわゆる”どんぶり勘定“なのです。残された貯金や金庫にあった現金(特にこれが騒ぎになりました)は、商売の際の運転資金であり、これは商売に関するものだから一部は自分が引き継ぐ、と言い出しました。一度火が付くと止まらないもので、誰が家を買った際に、頭金を貰っただの、商売を継ぐというが、商売上の財産と個人財産の区分けがないだの、はては祖母の残した指輪だの貴金属をどうするかという話になりました。ああ、リアル骨肉だぁ、と思って黙ってみていたら、私は子供の頃、貧しく、当時は景気が良かった祖父母に生活の援助を受けていたこともあり、関係ない私への非難まで出る始末で、阿保らしくなって退席しました。

 

完全解決はない

 

今も、まだ、相続は終わっていません。まあ、事実的に3男が商売を続けていることと、登記はしなくても相続税に関する問題は回避できたので(登記しなくても相続税って手続きできるんですね。今回初めて知りました)、取り合えず実害はないのかなと思ってますが、それでも、正月に顔を合わしたら、登記が終わらないことを嘆いてました。まあ、気持ちはわかります。しかし、心の中で「周りも周りだが、あんたも悪いよ」と思った自分もいます。

 

今回の相続は何点かポイントがあり、一つは先に挙げた個人商店がゆえに、どんぶり勘定で3男に商売を継がせたことで、何が3男の相続財産かわからなくなりました。また、祖母は長生きだったがゆえに、各兄弟姉妹がそれぞれ介護を手伝っていたため、3男が完全に面倒を見たといえる状況ではなくなっていました。子供たちが力を合わせて介護したがゆえに相続では逆方向に話が行ってしまったのですね。また、3男が引き継ぐという合意がなされてから随分と時間がたっており、思った以上に資産が劣化、減少していたこともあったと思います。我が家の取り分はせいぜいが、国内で由緒ある旅館に家族で泊まれば無くなるような額でした。孫としては祖母の財産など興味が無かったことも幸いして、冷静だったというか、その程度の額で罵り合いに巻揉まれても割に合わないので、落ち着いたら連絡してくれ、と長男である叔父に伝えました。

 

非常に残念な話ではありますが、相続は心の分割でもあり、本当の意味での完全な相続って案外と世の中少ないんなんじゃないかなと感じた次第です。